大島紬の特徴と魅力を探る
着物好きに好まれるという、着物の中でも男性にも女性にも人気が高い大島紬の特徴や歴史について説明してみたいと思います。
大島紬の歴史
紬はフォーマルな着物にはなりませんが、「着物通は紬通」と言われるように、着物が好きな人は紬の愛好者が多いと言われています。
絹100%で作られているのが特徴の大島紬は、海のシルクロードと呼ばれた奄美大島の歴史を物語っているようです。
大島紬には、染め方にも特徴があり、草木染めや、泥染めなどがありますが、中でも、古くからある泥染大島紬はとても人気があります。
泥染めと言っても泥の色を染み込ませている訳ではありません。
下染めした染料が、泥につけた時に科学変化を起こすことによって、あの大島紬の特徴ともいえる深みのある独特な風合いを出すのです。
大島紬が人気の理由
古くから「親子三代と大島紬」と言われるように、着物には珍しく裏表が無いという特徴を持つ大島紬は、母親が着た紬を裏返して着ることで娘も着ることが出来、また、お包みなどにすることで孫も使うことが出来る程、長持ち(150年から200年)するという意味だそうです。
裏表がない理由には、ふつう着物は、生地を織ってから色を染めたり柄を描いたりする「後染め」という特徴がありますが、大島紬は、糸を染めてから、柄を織り上げていく「先染め」が特徴という違いがあるからです。
1300年もの歴史を持つ大島紬は、とても難しい技術で作られているのです。
大島紬の選び方
大島紬と呼ばれている着物には、手織りの物だけでなく機械織りもある為、高価な物から安いものまで様々あります。
しかし、正式な大島紬には、絹100%で作られているもの、先染め手織りである物、などいくつかの特徴を兼ね備えていなければいけない決まりがあります。
逆に言えば、それらの特徴が揃っていれば、奄美大島以外で作られていても、例えば、海外で作られても大島紬と呼ばれます。
中でも、手織りされた奄美大島本島で作られた紬は高級品であり、それらには地球印の証紙が付いています。
大島紬の特徴や生産地などを調べてみると好みの大島紬が見つけやすくなるでしょう。
大島紬の歴史を知っていますか?
大島紬の歴史は起源を奈良時代まで遡ることができ、一着分を作るにあたり非常に技術も労力も必要とします。
そのため、最高級の着物として、着物の女王と呼ばれています。
大島紬の歴史の始まり
大島紬は、その起源を奈良時代まで遡ります。
歴史の授業で東大寺を習ったことがない人はいないでしょうが、その東大寺に献上された品物の中に褐色紬が記載されているのです。
実際に作られ始めた時期は更に古いはずですから、紬の歴史は1300年を優に超えているのです。
また、大島紬を生み出した奄美大島では紀元前から養蚕を行ない、機織りをしていたことが分かっています。
更に、奄美大島はその歴史の中で遣唐使の寄港地になったり、大陸から文化が伝わる中継地点になってきたため、大島紬にもどことなく南方や大陸文化の影響が感じられます。
江戸時代の大島紬
奄美大島の歴史の中で、紬という言葉が出てきたのは江戸時代です。
奄美大島は、江戸時代には薩摩藩、今の鹿児島県の支配を受けるようになります。
そして、黒砂糖と共に布を税として納めることが定められました。
皮肉なことに、税として納める制度ができたことによって効率的に、また一定数を作る必要に迫られた大島紬はそれまでの紬作りの歴史と比較にならないほど技術が進歩することとなります。
しかし、実は紬はこの頃、全国各地で作られており、大島紬よりも歴史的に古いものもありました。
その中で大島紬が有名になったのは、泥染めを発見したことによります。
泥染めによって独特の風合いが生み出され、それが大島紬の特長となりました。
明治維新を超えて
日本の歴史上重要なターニングポイントである明治維新は、大島紬の歴史にも大きな影響を与えました。
まず、廃藩置県により大島紬も生産販売が自由になります。
そのため、大島紬をより多く作る目的で、家ごとに紬を作っていたものを工場で役割分担して作るようになったのです。
これは産業革命とも言えるほどの出来事でした。
そして、泥染の手法が確立されたのも明治時代です。
紬業者は組合を作り、製品の品質を落とさないように努めるようになりました。
明治時代末には絣締機が発明され、生産数が飛躍的に向上しています。
これは大島紬史上歴史的な発明と言われました。
現在の大島紬は、部分的な着色が可能になり様々な模様が作れるなど技術的にも更に向上しました。
そして、着物の女王と呼ばれ着物を着る人の憧れとなるほどの地位を確立しています。
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