日本最古の紬『久米島紬』の特徴
沖縄県に伝わる「久米島紬(くめじまつむぎ)」は、日本の紬では最古のものであるといいます。
つまり、16世紀ごろに久米島に初上陸した紬なわけですが、いったいどのような特徴だったのでしょうか。
久米島紬はすべて特徴ある植物染料
中国の織物として紬久米島紬の技術が伝えられました。
渋い赤みを帯びた黒褐色が特徴的です。
久米島紬の色の基本は5色で、こげ茶、赤茶,黄色,ねずみいろ、鶯色です。
これらで、縞や格子、絣柄などを織り男物だったりとバリエーション豊かに特徴をだしてしていくのです。
色は、すべて植物染料です。
久米島紬の植物染料は、グ―ル(サルトリイバラ)、車倫梅(ティカチ]、揚梅(やまもも)ユウナなどを、割り砕いて、長時間にわたり煎じて作ります。
そうしてできた特徴のある色合いの染料に、一日5~7回染めては干しを繰り返し、10日間に及びます。
その後、鉄分を含んだ泥媒液で染めます。
久米島紬の折り方の特徴
中国の織物として紬織りの技術が伝えられました。
縦糸(たていと)に生糸、緯糸(横糸)に手紡糸を織っていきます。
「久米島紬」は渋い赤みを帯びた黒褐色が、特徴的です。
すべてが自作の植物染料です。
草花を長時間にわたって煎じ、染にも何度も繰り返し染めては干しを繰り返して、「久米島紬」の糸を制作します。
縞、格子、絣などの模様に織り上げて、着る人にとって特徴あるものをつくります。
色合いなどで男物にもできます。
「久米島紬」は、この織り方に特徴があるわけですが、さらに織上げたものを石の上に置いて杵でたたく「杵うち」の工程を通化し、「久米島紬」やわらかさとつやのある布になるのです。
久米島紬の歴史的特徴
沖縄県久米島地方が日本の織物の発祥の地といえます。
つまり、久米島紬は、日本最古の織物です。
16世紀ごろに、この土地から日本全国に伝承していったのです。
沖縄は、中国と貿易していて、中国から、紬の特徴的手法が伝えられました。
琉球王朝時代の税として久米島紬を、王朝に差し出しました。
このような貢納布制度は1903年まで続けられ、琉球王朝が終焉を迎えるまで、久米島を特徴づけてきました。
この最古の織物『久米島紬』は、平成16年になって、ようやく重要無形文化財として認められることになりました。
さらに現在では、伝統工芸品として評価され、織の特徴が価値の高いものであると保証されました。
久米島紬とその歴史
久米島紬は、国の重要無形文化財にも指定されている、日本の紬のルーツとも言える織物です。
14世紀から始まる久米島紬の歴史とはどのようなものだったのでしょうか。
久米島紬の誕生
歴史的に三山時代と呼ばれていた14世紀の沖縄は、中国、東南アジアや日本との中継貿易で栄えていました。
そんな中、久米島の堂という集落の長、「堂の比屋」は、漂流などで中国から来た人々と親しくしていましたが、ついには明へ渡り養蚕技術を学んで帰島しました。
久米島紬の歴史はここから始まります。
最初のうちは技術も未発達な久米島紬でしたが、17世紀になると、当時の琉球王だった尚豊王は越前から坂元普基を招き、養蚕と真綿の技術を根付かせます。
また薩摩からは友寄景友が来島し、機織りと染色を指導しました。
こうして久米島紬は歴史的な格段の進歩を遂げました。
本土での人気と島の苦しみ
模様の選定から織りや染色まで、すべて一人の織り手によって作られる久米島紬には、心がこもっています。
18世紀に入るとその素朴で深い味わいが本土で人気を博し、「琉球紬」として流通し需要が大きくなり、久米島紬の歴史は華やかなものとなっていきます。
ところが、久米島紬には、15歳から45歳までの島の女性たちの実質的な人頭税だったという、苦しい歴史もありました。
1511年に久米島が琉球の支配下に入った時には税の7割が紬で納められていましたが、琉球が薩摩に治められるようになると、その負担はより大きくなりました。
18世紀には、織られた紬の大半が税として納められていたという歴史上の記録が残っています。
明治後期から現代までの久米島紬
歴史が下り明治36年になると、地租条例や国税微収法が施行され、貢納布制度は廃止されました。
養蚕業が発展し、女子工業徒弟学校から卒業生が出る頃になると、久米島紬は歴史的な最盛期を迎えます。
大正時代には第一次世界大戦の戦時需要もあって、久米島紬は飛ぶように売れ、協同組合の設立により品質も向上しました。
安価でありながら品質が良く、使い込むほどに絹織物の光沢がにじみ出てくる久米島紬は、階層を問わず需要がありました。
またこれに触発されて、米沢、岐阜、愛知等、日本各地で紬が織られるようになりました。
久米島紬は、世界恐慌や第二次世界大戦という歴史的試練に会い一時は途切れかけましたが、戦後には復興し、沖縄の本土復帰後には伝統工芸品となり、1977年に県の、2004年には国の重要無形文化財に指定されました。
素朴な色味としなやかな手触り久米島紬
久米島紬とは、沖縄県久米島を本場生産地とする絹織物です。
草木染めによる素朴な風合いと、しなやかな手触りが魅力です。
この紬は、どのような伝統技法によってつくられているのでしょうか。
久米島紬とは “琉球王国から伝わる伝統技法によってうみだされる織物が、久米島紬です。
黒褐色の光沢をもつものを中心に、黄色やウグイス色など、泥染め・草木染めの風合いを生かした色味をもっています。
原料となる真綿や染料を、主に久米島内から調達することが特色です。
すべての工程を基本的に1人で行うため、職人はあらゆる伝統技法に熟練している必要があります。
時間と手間がかかる丁寧な織物が、久米島紬なのです。
久米島紬は国の重要無形文化財にも指定されています。
その条件は、紬糸または引き糸を使用すること、天然染料を使用すること、絣糸は手くくりであること、手織りであることの4点です。
このような指定を受けながら、久米島では、伝統技法が守り受け継がれているのです。
糸つむぎから絣くくりまで
久米島紬は多くの工程を経てできあがりますが、ここでは代表的な伝統技法をご紹介します。
まず糸つむぎの作業では、真綿から、手つむぎによって緯糸をつくります。
湿らせた指で真綿を引き出し、軽く撚りをかけるようにして糸を繰っていく作業です。
緯糸には生糸、玉糸、紬糸があり、目指す質感に応じて使い分けます。
糸ができあがると、あらかじめ製作しておいた図柄にもとづき、絣くくりをしてゆきます。
墨で印をつけ、ビニールと木綿糸をもちいて、図面のとおり絣をくくる工程です。
寸分の狂いも許さない、高度な熟練が必要な伝統技法が、この絣くくりです。
絣ができると染色にうつりますが、久米島紬の染料は草木という自然のものを相手にするため、ここでも熟練が求められます。
つづいて、久米島紬の染色における伝統技法をご紹介します。
染色から仕上げまで
久米島紬の素朴な風合いは、島に自生する草木を使用した染色によるものです。
泥染めの黒褐色、ユウナという樹木の幹からつくった木炭によるユウナ染の灰色、ヤマモモとクルボーの幹の皮を混ぜて抽出した染料によるヤマモモ・クルボー染めの黄色をはじめ、島のあらゆる植物を原料にする伝統技法です。
染色が終わると、糸に下ごしらえをしてから、高機の織機で織ってゆきます。
反物ができあがると、仕上げのきぬた打ちです。
これも久米島紬に特徴的な伝統技法です。
糊を落として天日干しした反物を、8分乾きの段階できぬた打ちしますが、これは綿布で包んで台に置いた反物を、2人がかりで交互に杵で打ってゆくという作業です。
この伝統技法によって、反物の質感や光沢が決まるのです。
このような長い工程を経て、ついに久米島紬ができあがります。